おさみその備忘録

考えたことや日々の出来事で思ったことなどを忘れないように更新していきます。

ハイコンテクストとローコンテクスト

昨日はトランプ氏が大統領に就任したことで日本まで盛り上がっていた。私も仕事をしながら、にわかに大統領選を楽しんでいたわけだが、アメリカ人というのは、何故あんなにもはっきりと自己主張出来るのか?

 

現在読んでいる、異文化理解力という本でその理由というものが理解できた。、

 

当たり前だが文化によって、コミュニケーションの取り方は異なるものだ。

 

日本であれば、会話において『場の空気を読む』ということが重要になり、言葉での直接的な表現を避けるがその意味を言葉とは別の意味を持たせるということが日常的に行われる。それが日本における『奥ゆかしさ』というものを作り出している理由の1つに思う。

 

逆に例えばアメリカであれば、全てをシンプルにストレートな表現で述べ、言葉として出てこないものは、主張として評価されないものになってしまう。

 

こういった『言葉以外に重きをおくかの姿勢の違い』をハイコンテクスト、ローコンテクストという言い方で表現する。

 

この場合、日本はハイコンテクスト、アメリカはローコンテクストなコミュニケーションを取ると言った具合だ。

 

この違いは、よくコミュニケーションにおいて大きな誤解を生むことになる。いわゆる文化の違いというものだが、当事者からしてみれば相手のパーソナリティがそういうものだと錯覚してしまうことだ。

 

自分が体験してきたものでは、ほとんどの場合日本人は静かで真面目だと言われることだろう。団らんの場においても会話を楽しんでいるのだが、こちらがいつも以上に発言をしないと『この人は静かな人だ』という印象を持たれがちである。

 

もちろん、あまり英語やスペイン語を話せなかったということはあるが、どちらかと言えば相手の話に耳を傾け、場の空気に沿って発言をしていた訳である。

 

また、知らず知らずのウチに直接的な表現を避けている場合もある。相手に対して言葉とは裏の意図で伝えたこともしばしば言葉通りに受け取られ、言い直すということはあった。

 

何故こういった違いが生まれるのかについては、その国がどういった歴史をたどってきたかによって変わる。

 

日本で言えば、ずっと島国であり特別言葉を交わさなくてもお互いが理解出来るレベルまでずっと同じコミュニティで暮らしてきたというのが大きな理由と言われている。

 

つまり明確に言葉として表現する必要がだんだんとなくなり、相手の意図を読むということが聞き手の仕事として当たり前になってきたということだ。

 

アメリカでは正反対である。

まだ歴史も浅く移民が多く流入してきた。コミュニケーションも違う文化、言葉の人間ととってくる必要があったのだ。そのため、明確に言葉で伝えたいことを表現する必要があった。伝える側が伝える力を持たなければ、コミュニケーションも取れなかったのである。

 

もちろん個人差はあるが、これらの文化的な背景を踏まえた上で、相手のバックグラウンドによって、コミュニケーションの手段を使い分けることで相手の意図も掴みやすくなるし、こちらの意図も伝えやすくなるだろう。